ユネスコの世界記憶遺産が決定した。日本からは「東寺百合文書」「抑留・引き揚げ記録」が選ばれ、中国から申請されていた「南京大虐殺の記録」と「慰安婦」は「慰安婦」の登録は見送られたものの「南京大虐殺の記録」は登録されてしまった。
世界遺産といい、今回の世界記憶遺産といい、なんだかおかしな気分になる。嬉しいような、そうでもないような。
正直、以前とは違って、このような登録がされてもありがたみは減ってしまった。それは登録数が増えたせいで希少性がなくなったからだ。
さらに追い打ちをかけているのは、戦争がらみの登録が増え、それを盾に圧力をかけたり、貶めたり、政治的利用をする国が出てきたことである。
幸い日本としては、そのような登録はまだ見られない。ただ、今回登録された「抑留・引揚げ記録」も戦争関連だ。ロシア側の協力は得られたとはいえ、はたして世界レベルで登録しなければならないものなのだろうか?
以前、話題になった「特攻隊」も「憲法九条」の登録も、以前登録を見送ったものや、我が国に現存する千年以上前の様々な資料より価値があるとは思えない。
このような戦争関連資料の登録合戦になれば、ねつ造云々も含め、国際紛争の火種になりかねないのである。いや、もう火に油を注いでいる。
日本政府筋は今回の南京大虐殺の登録について「断固たる措置を取る」と述べ、ユネスコの分担金拠出などの一時凍結を検討する構えを見せているそうだ。
実質1位の分担金を払いながら、ねつ造されたものをあっさり登録させられるという力のなさ、甘く見られているという現状に、我が国はそろそろ真摯に向き合う時期なのだ。今まで、事なかれ主義でやってきた付けは大きすぎる。
ただ、この難局にも一筋の光はある。アメリカが分担金を凍結しているおかげで、同じように凍結しても、我が国だけに風当たりを強くできないからだ。
ひょっとして、物言う日本に生まれ変わる大きなチャンスがやってきたのかもしれない。ピンチはチャンスなのだ。
12日目 あほうさんは腹ペコでおこしでした