3.11です。
あれからもう5年ですね。
でも、忘れるとか、忘れないとか、忘れたらいけないとか、どちらかというと湿っぽい方向で語られることが多く、私でさえTVを見るのが憂鬱になるぐらいなので、感受性の激しい方は、TVだけでも震災鬱が再発するんじゃないかと心配になるほどです。
実際、私の友達で大阪在住の子が、当時震災鬱になったそうです。
なので、少し違う方向から書いてみることにします。
3.11の時は、海外から多くの援助がありました。
アメリカのトモダチ作戦
3.11に活躍…今なお感謝が止まない「トモダチ作戦」とは? - NAVER まとめ https://t.co/CdVllSHxTM
— Manami Ichi (@Manaming1) 2016年3月11日
その他、多くの国々があの時、力を貸して下さいました。
外国人からすると、日本ひとくくりですから、たいそう心配していたようです。
そして、その時にFBにアメリカの友人から頂いた言葉
「日本は、あの戦争のあと、素晴らしい復興を遂げた国だ、私はあなた達日本人、そして日本という国の力を信じている。。。」
とても印象に残っています。
アメリカは日本が一番激しく戦った国です。
たた、それは70年以上前、私達が生まれる前のはなしです。
今では互いに必要としあっていると私は感じていますし、アメリカ人の友人からも何度もそう言われました。
少なくとも私の周りはそうなのです。(注・アメリカの場合州で随分感覚が違う)
(注・子供なのでちょっと変な顔をしているのはご愛敬ということで)
あの年(2011)のクリスマスに、私はシアトルのシーモアさんにオペレーショントモダチのワッペンを付けたジャンパーを送りました。
ただ、いつまでたっても届かない(EMSで送って無かった)というので、あきらめていたのですが、翌年のクリスマスに、連絡が。。
どうやら、やっぱり1年前に届いていたらしいのです。
当時のルームメイトがどこかによけていたのをその時発見したとのことでした。
まったく・・・そういうもんです。
彼は、とても気に入ってくれたようで、学校行くのにも、どこに行くのも、いつも着てくれていました。
ということで、後日、彼の家で記念撮影したのがこの写真です。
家に頑張ろう日本のうちわまであったのには、流石に驚きましたΣ(・ω・ノ)ノ!
私は阪神大震災の時に、軽い被災を経験ているので、3.11の被災者の方の気持ちがわからないことはありません。
ただ、一つ思うのは、追悼の気持ちを大切にしつつも、支援して下さった沢山の方々(国内外問わず)に感謝の気持ちを持ち、3.11はその温かい気持ちをみんなで思い出す日でもあってほしいと思います。
福島の復興支援、私は風評被害を無くすお手伝いができればと思います。
できることはTwitterやブログなどでの発信と、福島の農産物などを見かけたら積極的に購入することぐらいですが、できることをコツコツとと思います。
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