People are sharing #JeSuisBruxelles images of solidarity with Brussels on social media. https://t.co/xoH3qnZyII pic.twitter.com/9fDJwXqDLe
— NBC Nightly News (@NBCNightlyNews) 2016年3月22日
ブリュッセルはさすがにトップニュースだ。だがつい先日のトルコのアンカラのテロは30人近く亡くなっているが話題になっていない。
— Akiko (@garancear) 2016年3月22日
被ブロックコピーRTゆき@日本帰国中 ガザやシリアで毎日亡くなっている人とパリやブリュッセルで殺された人の命は当価値。そう考える人は、冷静なだけ。ヒステリックでないだけ。テロを他人事と捉えているわけじゃない
— Maggie Q2000 (@MaggieQ2000) 2016年3月22日
たぶん似た感覚なのかなと思うのですが、ある国で起こったことには悲しみ、またある国で起こったことは気にも留めない。。
国内で起こっている、事件や事故、災害でも思うのですが、規模が大きなものならば、すごく反応して、とりあげて、必要以上といっていいほど長い間「忘れてはいけない」「被害にあった方は忘れられるのを恐れている」とか報道し続けるけれど、数人程度の死者のものや、対してインパクトの強くないものは、その時だけで(まったくとりあげられないこともある)終わってしまう。
これって、メディアの心理誘導なのでしょうか?
例えて言うなら、某N局が月~木で放送している「あの日わたしは」は、いつまで続けるつもりなのでしょう? 区切りといっていい5年が過ぎた今、年に1度、または半年に1度でいいのではと思うのですが。。。被災された方でも、見たくない方もおられると耳にしますし。。。
反面、昨年の鬼怒川の水害については、すでにほどんど話題にも上らず、2004年の中越地震や1993年の奥尻島の津波etc. 忘却の彼方だと思います。
阪神大震災の話ですら早い段階で年に1度、1/17前後のみになりましたし(関西はもう少しやってるかな?)実はそれでいいんだと思います。
福島は現在進行形でまだまだ大変なのですが、今は、正しい知識で風評被害対策に切り替えるべき多と思います。
東北の件はいつまでもやっていると、今度は被害者利権・特権みたいなのが発生してきておかしなことになってしまうと思うのです。
流石にここまで行くのは、韓国でも少ないかと思うのですが、この事故と同時期に韓国では様々な事故が起きました。
かなり大きな事故ばかりだったのに、セウォル号の遺族だけが特別扱いになりました。
あまりの大きさに他が霞んでしまったのかもしれませんが、数の論理というかなんというか。。。
これが現実です。
パリのテロの時もそうでした。
これは小さな事故ではないはずです。
でも、事件性がないとかなんとかで、終わってしまいました。
トルコのテロに至っては、
時々、簡単なニュースになりますが、ベルギーやパリと何が違うのでしょうか?
被害者の数も多いですし、これは数の論理で片づけられる問題ではないようです。
主にテロについて書きましたが、中国の中での民族問題、アフリカ、中東、毎日内紛をやっている地域の話なんて、ほんとうに時々とりあげるだけで、Pray for...なんてやらない。
日常が戦闘地域でおこったことには祈らない。
命の価値って、事故や事件の大きさで変るはずもないし、年齢や性別、地域や人種で変わるはずもないんです。(理想論を述べました。)
テロなどが非日常地域で起きれば祈る。これがまぎれもない現実です。
だから冷静に世の中を見なければいけないと思うんです。
最近、差別を叫んだり、弱者が。。。という声を高らかにあげる方々が増えているように思います。
世の中に、差別区別がないなんてことはありえません。大なり小なり有るんです。
私は、差別が。。ヘイトが。。と叫んでいる方にに問いたいのです。
▪ あなたは、全く、寸分たがわず差別区別をしていませんか?
▪ 家族や身内や友人知人と同列にすべての人を同じに扱えていますか?
▪ 自分が優位にたつことを望んでいませんか?
実際、これができる人っているんでしょうか?
私は、自分ができているとは全く思いません。
差別主義者ではなくても、やはり家族や身内(友人知人含む)と、まったく知らない人では、できることや思いは違うんです。そして、私を含めみんな自分の生活が大切なのです。これは普通の事だと思います。
ただ私は、人を踏みつけようとか、卑しめようとか、そういう気持ちは全くと言っていいほどありません。偽善者っぽいですけど、ホントです。
若干上から目線なところはありますが、年齢的にもう許される歳だと(自覚有り)w
なんだか、話がとっ散らかってしまいましたが、結局のところ世の中に平等とか公平というものはないのです。
殺伐とした話ですが、それを嘆くより、少しでも良い世の中になるように、心にとげを持たないようにと思うのでした。
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