四月になりました。新生活をスタートさせる方が多い季節ですね。
うちも、甥っ子が幼稚園に通うことになりました。じじ&ばばは入園のお祝いを大奮発。初孫ですからね(*^^*)
幼稚園なので、いま話題の保育園とは違うのですが、昨年の秋に京都から西宮に引っ越した弟の家族も、幼稚園に通えるように様々な活動をしていたので、色んな話は聞いています。
私も以前住んでいた西宮エリアは、若いファミリーに大人気なので、今回入園できた幼稚園は補欠だったらしいのですが、欠員が出たので春から通えることになり一安心。とても喜んでいました。
丁度そういう時期も重なって、今回の「保育園落ちた・・・日本〇ね!!」の件はとても興味く、メディア情報やネットで様々な意見をず~っと拝見していたのですが、「日本人はいつからこんなに心が貧しくなってしまったんだろう?」(もちろん全ての人って意味じゃないですよ)というのが、正直、私の感想です。
この一連の騒動で気になったのは言葉遣い。あまりに衝撃的で驚きを隠せませんでした。このような物言いのブログが国会でとりあげられるなんて...
まぁ、とりあげられたの話し方は以前から苦手たっだのですが(笑)
保育園問題 ご興味がある方はぜひご覧ください。そして、評論が良いと思えばRTをお願いします。 ■待機児童問題を一時的なブームや選挙の道具にしてはいけない https://t.co/ciW13YpV6a
— 渡邉哲也 (@daitojimari) April 3, 2016
私は子供もいないし結婚もしていないので、「子供もいないくせに何言っているんだ!!」とおっしゃる方がおられることを承知で言いますが、
なんか「さもしい」
ということで、私が生まれた昭和40年代、どのような子育て(専業主婦以外)がおこなわれていたか、触れてみようと思います。
まず、保育園。
当時の岡山県内の市立保育園の様子がこちらになります。↓↓
カラーもあるんですが、あえて白黒でそろえてみました(笑)
こんな感じです。
たぶん、今の基準より保育士さん1人でみている子供の数は多いと思います。
うちは当時、家の商売がとても忙しく(両親に聞くところによると:従業員の確保が難しかった為、母がお店に出る必要があったらしい)田舎では珍しい5年保育(卒園時に2人だけ5年保育と言われたのを鮮明に覚えています)。
流石に、入園当時(1歳)の記憶はありませんが、保育の方法も、今よりもっとおおらかでおおざっぱだったと思います。
今の保育士さんは大変ですね。保護者からの要求が多くて。この頃はまだ「みて下さるだけでありがたい」という感じでした。
子供の数が多く、専業主婦も多かった時代なので「今と比べるのはおかしい、基準が違う!!」というご意見もあるでしょうが、昔の方が圧倒的に福祉体制が整っておらず、うちの場合も、父方も母方も親戚一同総動員?で私を育ててくれました。
今日は父方の祖父母宅、明日は母方の祖父母宅、夏休みなどの長期の休みは叔母の家という感じでたらい回しの毎日で、それでも、手が足りないときは、子守のおばあさんの力をかりていたようです。
写真の方が子守のおばあさんで、お仕事として私みたいな子供達の面倒をみてくれていたようです。今でいうベビーシッターで、あのころはこういう方が結構おられたと思います。
しかし、すごい昭和の香り。サザエさんのフネさんの様な出で立ちですね(笑)
お店の裏ですね。これ。
みんな歩いています。あとは自転車。車は数えるほどだし、着物もまだまだ日常着だったようですね。
後方が、市内の目抜き通りでその向こうが銀行です。つまり市内の中心部。
反対側がこれ。
道が舗装されていなくて、なんか工事してますね。
高度経済成長のころって、東京とかはもっと発展していたと思いますけど、田舎なんて街の中心部でこんなレベルです。
今、貧しいとか、貧困とかよく言われますが、要するに、この時代はまだまだみんな貧乏だったのです。食べるのがやっとって家も結構あったんじゃないでしょうか?
学歴も高卒なら上々、中学を出て集団就職ってのもありましたね。
今、こんなに物があふれていて豊かになっているのにまったく気づいていない。権利ばかりを主張して、何もかもしてもらって当たり前、被害者意識だけが強く、(自分も気を付けたいと思いますが)感謝の気持ちがないという人が増えているような気がします。
40代以上の方はこの頃のことをを少なからず知っているはずですが、バブル崩壊とともに様々なものや価値観がドンドン崩れてしまいましたね。
残念ながら地域で子供を見守るということもなくなりました。時代ですね。
福祉の財源は税金です。限りがあります。自力で立てる方には立っていただかないといけないのです。これは仕方がない。保育園ばかりが話題になっていますが、幼稚園も認定こども園もありますし、裕福なご家庭はベビーシッターさんという手もあります。
長いデフレで失われた20年、食べる物も、服も、通信費も、実は圧倒的に安価になっているのを知らない世代が今や子育て世代。経験してないので仕方がないのかもしれませんが、実際はやりくりすればなんとでもなるレベルなので、文句ばかり言わず少し我慢をすることも知ったほうがいいと思うのです。
あれも、これも、それも、どれも人が用意してくれて手に入るわけではないのです。
戦争を経験した世代や貧しかったころを体感している世代がよくおっしゃる「私達が経験した苦しさを子や孫には経験させたくない。」という言葉。これも真実でしょうが、それを思いすぎて今度は大事にしすぎているんですね。
「自分達は我慢しても子供には・・・」という気持ちが、かえって子世代に感謝の気持ちを忘れさせているのではないでしょうか?
何かをあきらめる、わがままを言わず、どこかで折り合いをつけるという事の必要性をを次の世代に教えていくこと、当事者はプライオリティを決めながら考えるチカラが必要だと思います。
こういう話は、デマだなんたとおっしゃる前に、ご自身でお調べになるとよいと思います。
そして、何か間違っていると思うことや誤記などにお気づきになれば、直接お伺いになるといいと思います。間違っている時はきちんと謝罪も訂正もされますので(*^^*)
駒崎弘樹「経済評論家が『保育園落ちた』の件でデマを拡散している」~渡邉哲也「デマと批判したことを訂正し謝罪された方が」→「失礼しました。訂正します」 - Togetterまとめ
渡邉さんの「失礼しました。訂正します」は、ただの誤記ですよ。揚げ足をとってデマとか言う方を見かけたので、お伝えしたのは私ですから。。
2016/04/03 22:55
待機児童を解消する事は良いことだと思いますし、そのために努力する必要があるのも理解しているが、解決したければ印象論で語ってはならず、将来を見据えた冷静な議論が必要であり、税を使う以上その点に対する言及も必要なんですね。 家族や子供の問題を選挙や党利党略で利用してはいけない
— 渡邉哲也 (@daitojimari) April 3, 2016
4月に共著の新刊が2冊でますね 。
保育の問題、まだまだ言いたいことはあるのですが、それはまた次回。
188日目 猫にも我慢をすることを教えている。。が、プーチンのこの目に弱い