私は子供のころから、差別っていったい何なんだろう?という疑問を持ち続けている。正直よくわからないのだ。
「差別はしたらいかん、でも区別はしなくちゃいけないよ。」と「簡単に差別されたなんて言っちゃいけないよ。」 と色んな人に言われてきたし、今でもその意味を考える。
このところまた『女性差別』ってのが話題になることが増えているけど、それってどうなんだろう?
この女性団体なるものに、どれほどももクロ愛があるのだろうか? 「どうしても、どの講演もイベントも逃さず見たい‼」っていうなら別だけど、「たまにはこういうイベントもいいね」という寛容性があったっていいんじゃないのかなと思う。
もう一つ、この方々に問いたい。福山雅治さんならいいのですか?「男の、男による、男のための聖夜にして野郎夜(やろうや)!!」に続く第二弾も大好評だったらしいですよ?w
話は変わるけど、安保法案採決時の、国会での野党女性議員の言動にも、とても違和感を持っている。同じ鉢巻(国会では使用してはいけない)をして、セクハラを叫びながら議長の入室を阻止しようとしたと思えば、自民党の女性議員さんが投げ飛ばされても知らん顔。あれでは、都合がいい時だけ「女」と「差別」という言葉を使っているとしか言えないからだ。
(もし、ヤワラちゃんがあの場にいたら彼を投げ飛ばして成敗してくれたかな?とちょっと思ったりもした。背負い投げで一本ってのが見てみたかったw)
なぜあんな人たちが国会議員なんだろう?
「良識の府」はどこへ行ってしまったんだろう?
これは女性議員に限らず男性議員もだが、笑えない。いまやあの場所には、良識も常識も存在しなくなってしまったようだ。実に醜い。
一応私も女の端くれなのだが、同じ女の私の目から見ても、かなり世の女性たちは、とってもわがままだ。「レディースデー」「レディースセット」「女性専用車両」女性を特別扱いするものは当たり前、仕事などで何かあれば「女性差別」だ「セクハラ」だ「マタハラ」だと声をあげまくる。それがどんどんエスカレートしている様に見える。
女性陣が1000円をゆうに超えたランチを楽しいでいるとき、弁当も持たせてもらえず、500円で一日を暮らせと言われていた男性社員をけっこう知っている。地方担当の営業さんは農道の無人売り場で100円のきゅうりを買って、かじりながらお小遣いをためていたなんて話も聞いた。涙ぐましい努力だけど、もう意味不明だ。
女性はそうやって無意識に、男性を踏みつけにしてはいないだろうか? 男性も大人しくなりすぎてはいないだろうか?
もちろんすべての人がそうだとは思っていないけど、どんどん増えているような気がしてならない。
いつの間にか 「弱者のふりをした特権階級」になったような気さえする。仕事をしていると、昇進などでは私も経験した「理不尽なこと」や、本当に悪質な「性的嫌がらせ」のようなこともある。それはいけない。
でも、簡単に「差別」を口にすると、自らの資質も問われるということを忘れてはならない。言葉には重みが大切なのだ。
16日目 あほうさんも女の子なのでちょっと女王さま気質なのだぁ~